川崎のヒステリックグラマー

会社からの帰り道、神明町からラゾーナ川崎を東改札口方面に向かって突っ切ると気がつく。

オレンジのネオンが点灯し60年代風の巨大な美女を照らしだす。男は萎え、女は起つ。ロック好きが着るティーシャツにプリントされたイメージとリアルタイムに成長してきたオッサンにとってはそこにいるだけで開放と自由が約束されたかのような気にさせられる。包み込まれる安心感は単なる勘違いと搾取の現実しかないのだろうが、一瞬でも菩薩に見間違えた者だけに死ぬまで幸せなのかもしれない。

巨乳美人の抱えたエレキからはなんらかの爆音が鳴り響き、受けた衝撃は永遠に直らない病気持ちにすぎないが、ヒスのプリントからは認めるしかない。

自由の女神は片思いの男のために弓矢をひいてはくれない、アマゾネス社会には男の夢話など必要ない。

神明町は古い家並、路地があみだくじみたいに入り組んでいる。街灯も少なく遊歩道と交差している。駐車場を囲むブロック壁の崩れた所から平屋の裏を抜けてみたり、昔遊んだかくれんぼのような気分で仕事帰りは癒やされている。

会社の事務所は安置所の上にあるためか、寂しさと悲しさの波動が絶えず打ち寄せてくる。一日中同情と慰みを求めて漂う雰囲気につきあわされる身になって貰いたいが、連鎖を断ち切らないと結果は宜しくない。

魚がし日本一

京急川崎駅から歩き二分、雑居ビルにむかって歩いていく。昼飯に江戸一の味噌ラーメンを食べて自動車教習所に通ったのが30年以上前、手作り餃子も名物でよく注文していた。雑居ビル取り壊しでしばらくは、閉店していたが新たにできた高層ビルの地下に移転。店主が亡くなって完全閉店。


大師線には港町駅から川崎競馬場まで歩き二分?

溝の口にロードバイクを買いに行く

溝の口から二子新地にかけて大山街道が通っていて自転車屋さんがあった。

新地駅からタマサイは近いので今まで寄らなかった。余裕のなさに色々と思う。河原にでて遊ぶグループは多いので、タマサイと導線が重なり混み合う。自転車乗りとそうではない人の混雑に譲り合いの考え方も起こりがたく、しかもお互い未熟なようで迷惑感の増幅波長は空間を歪めるレベルを超えてきて怖い。早く通り過ぎたい場所で間違いない。

駅前を仕事で走る時もあり人混みを押しのけないと進めない。轢かないようにジンワリ運転する。先入観もある所での営業活動は気持ちもすり切れやすい。道幅も狭く住宅も密集し交通量もある、標識表示は狭い通れない危険と恐喝まがいの表記が飛び交う。でも慣れて気にならなくなり、体内時計の滞在時間割り当ては僅かになり仕事以外の事は気がつく暇など無い。

そんなだから奇跡的に見つけ出会えたお店とスタッフには率直に感謝した。将来はどうあれ人は独りじゃなく、助けは当たり前ではないのだから、自然に如何するかは解るはずだ。
聞けばだいぶ前から、今から数えて十二年前から営業しているとのこと。出合いは一瞬、その後の関係を続けられるか、大切にできるか、人間の関係性は下心ありきかもしれないが結局好きか嫌いかが豊かさを左右する。

日大卒業生

オッサン、追い込みかけられる。

年齢差別、老害排除、あるいは単純に嫌悪対象。追い込みをかけられたオッサンと言えば、楽勝にカモれる弱々しイメージもできあがり、隅っこで震えている奴よくいる、と、流れ的にも同情されない。

高校は日大だった。現在は共学になっているようだが個人的にアナウンスされたわけでもなく内容は知らない。オッサンが卒業したのは男子高の時代だったが学友は一人も思い出せない、オッサンの記憶力はその程度だが、当時の体験した場面が鮮明すぎて勝手に聞こえていたはなしが頂点の記憶になっている。

今のところ日大コーチ、監督が生徒を思わない指導者として世間を賑わしているが、当時の校風を知るものとしては問題視されても疑問もなく違和感もない。
人をヒエラルキーで見分け決め付けるのは判断基準のひとつでしかないとは思う。社会全体からみて体験として自然に身につけていった考えが多様化するのは当たり前の事だろう。
しかしながら考えが身につけるのに多くの時間を費やし、世間とのずれすら気づかせない人格に陥った今となっては、学校の存在が大きく、学んだ学生も将来、人情のない指導者になる下地を作った共犯者に過ぎない。

全てが万事、ここから始まったとオッサンになったから気づいたのか?オッサンになるまで気が付かなかったのか。どっちなのかわからないが、
いまさらながら消えかけていた不愉快が鮮明になってくるしょうもなさに、抑圧されたものたちのはけ口にされているオッサンは限界で
泣きっ面に蜂だ。